オーストラリアのローカルなIT企業での経験:日本人エンジニアが感じた文化の違い
私は日本生まれの日本人ですが、今年の半ばまでオーストラリアの会社で3年近く働いていました。
クイーンズランド州ゴールドコーストに本社のあるローカルな IT コンサルティング会社。顧客もオーストラリアのローカルな会社。賃金はオーストラリアドル払い。日本人の従業員は自分だけ。当然、コミュニケーションは英語。
他の英語圏の住民からすると珍しくもない体験だと思いますが、島国の日本人からすると珍しい体験だったので、そこで働くことになった経緯や日本との違いについて感じたことを書いておこうと思います。
オーストラリアの会社で働くまでの経緯
当時は、私は20代後半で、日本の企業ながらも職場では英語が使われる程度のそこそこのグローバルな環境で働いていました。完全なグローバルな環境というわけではなく、開発チームとのコミュニケーションに英語が必要になるという環境です。当時も今も英語は流暢に話せるレベルではないですが、日々勉強をし、ビジネス英語のレベルをギリギリ名乗れる程度まで英語力を鍛えていました。
そういう中で、本当のグローバルな環境に飛び込んでみたいという思いが次第に強くなり、20代が終わる前に実際に海外で働くという挑戦を実現したいと思い、ワーキングホリデー制度や海外就職について色々と検討していました。
そのように海外就職を考える中でLinkedInを眺めていた時、唐突にオーストラリアの IT コンサルティング会社の CTO からモバイルアプリの開発を手伝ってくれないかと依頼されるという出来事がありました。まだ求人に応募していない段階での話だったので、自分としてはかなり驚きました。
どうやら前任者がいなくなったらしく、開発途中のモバイルアプリをリリースまで終わらせてくれないかという依頼でした。週10時間程度で、日本からリモートワーク、開発メンバーは自分とその CTO の二人、JavaScript製のフレームワークによるモバイルアプリの開発案件という内容でした。
当時の私はモバイルアプリの開発に深い経験があったわけではないですが、使われている技術やプログラミング言語から問題なさそうだったので仕事を引き受けました。開発自体は、モバイルアプリに詳しい友人に聞くなどしてリリースまで漕ぎ着けることができました。
その後、追加の開発や他のプロジェクトにも関わってほしいという話をされ、フルタイムのポジションのオファーをいただきました。オファーいただいた当初は悩んだのですが、こんな機会はあまりないだろうなと考え、当初から前向きに捉えていました。今から考えると、自分もまだまだ若く挑戦的だったなと思います。
ちなみに、当初はビザのスポンサーの相談もして移住なども考えていたのですが、コロナ禍ということもあって有耶無耶になってしまいました。
異国でのソフトウェア開発という仕事
さて、このようにして始まった私にとっての異国でのソフトウェア開発という仕事ですが、仕事内容が大きく変わったわけではありませんでした。
ユーザーやクライアントの要求に対して要求を満たせる設計を考え、プログラミング言語で実装を行い、動作確認のテストを行い、本番環境にリリースする。考えてみると当たり前ですが、日本とオーストラリアであってもソフトウェア開発のプロセス自体は大きく変わらず、そのため仕事内容自体に新鮮味や驚きを感じることは少なかったです。
そのおかげというべきでしょうか、異国の地であっても今までの経験が無駄になることはなく、仕事内容自体に難しさを感じることは少なかったです。ただ、それと同時に、仕事に対する物足りなさを感じる原因になってしまっていました。
異国でソフトウェア開発の仕事ができるのか心配になる日本のソフトウェアエンジニアの方もいるかもしれませんが、日本である程度のソフトウェア開発の経験さえあれば全然通用すると思います。後の章で後述しますが、文化的な違いの方に苦労するケースの方が多いと思います。補足すると、自分の知っている別の日本人はオーストラリアの食文化に馴染めなかったというのを言っていました。
英語
オーストラリアのローカルな会社で、クライアントも社員も現地人、日本人の社員は自分だけという会社でしたので、英語力は当然ある程度は求められました。もちろん、面接は全て英語で行いましたし、雇用契約書なども英語でした。
ただ、今ですら英語を100%流暢に話せるわけではなく、TOEIC 800点程度の実力でビジネスレベルを名乗ってもギリギリ許される程度の英語力しかないのに、働き始めた当初は更に良くなかったのでなかなかハードルが高いようにも思えました。
なので、英会話を学習していましたが、英語を「読む・書く」は割とできても、特に「話す・聞く」というのがなかなか上達しませんでした。そのため、できるだけ文章でコミュニケーションを取るようにするなど工夫をしていました。ただ、たまに上手く口頭で説明できなかったり、会議中に分からない単語があったりした時は焦りもありました。
それでも自分の英語力について問題視されたことはありませんでした。結局のところ、自分はソフトウェアエンジニアとしてのスキルを評価してもらっていたので、英語ができなくても許されていたんだろうなとは思います。
なので英語を理由に海外就職を諦める必要はなく、スキルの方がよっぽど重宝されるものだというのは改めて感じました。もちろん職種にもよるとは思います。
労働時間
実際に働き始めてみて、最初に驚いたのは労働時間の違いでした。よく日本人は働き過ぎだと世間で言われることも多いですが、実際に違いは大きかったように思えます。
まず、驚くかもしれませんが、オーストラリアの祝日は日本より少ないです。オーストラリアは州によっても大きく祝日が異なるのですが、クイーンズランド州では年間10日程度でした。対して日本は年間16日もあります。大晦日から正月の休みも日本だと当然だと思っていましたが、オーストラリアでは12月31日は働きますし1月2日からは仕事です。
その代わりというわけではないでしょうが、オーストラリアでは週当たりの労働時間が少ないです。自分の契約では週36時間労働、1日あたり7.2時間で契約を履行したことになります。対して日本では、フルタイムの正社員は週40時間労働、1日あたり8時間が標準的だと思います。
その上で、オーストラリアでは残業などもあまり求められません。もちろん、ソフトウェア開発という仕事の都合上、リリース前後やバグが見つかった際などの繁忙期は働くことを求められます。ただ、普段の仕事では労働時間よりはアウトプットを求められるので、やることをやっていれば誰も何も言ってきません。
総合すると、オーストラリアは祝日は少なくとも年間の労働時間は日本より少なかったです。
年間260日の平日があるとして、計算は以下の通り。年間では労働時間が大きく違います。
- (260 - 10) * 7.2 = 1,800 時間
- (260 - 16) * 8 = 1,952 時間
これは明確にありがたかった点で、日本で経験のあった残業のしすぎで頭が回らなくなる現象がオーストラリアではほぼ起きませんでした。働きすぎによる弊害は間違いなくあります。
人材の流動性
次に驚いたのは人材の流動性の激しさでしょうか。日本の感覚では信じられないくらい突然人が解雇されたり採用されたりします。
この話は業界や会社によっても大きく変わるとは思います。実際に、自分のクライアントとして関わっていた会社では長期で働いている人も在籍していました。自分の働いていた会社がIT業界で少人数のスタートアップだったというのは大きく影響していたと思います。ただ、それでも日本の感覚からすると人材の流動性のスピード感が違いました。
自分が見た中で最短の解雇は1ヶ月未満でした。その方は PM として横断的にプロジェクトにアサインされていて、長期の契約なのかと自分は思っていたのですが、唐突に1ヶ月でいなくなったのでとても驚いた記憶があります。
そういう雰囲気だったので、自分も働き始めた当初は「自分もいつクビになるか分からないな」という感覚がありました。そのおかげというわけではないですが、パフォーマンスが問題になることはなく、自分の契約は続き、辞める頃には役員を除いてその会社で最も長いスパンで働いた社員になっていました。3年未満だったのにです。
人材の流動性が高いことのメリットは、ある程度の生産性が担保できる点だと思います。というか、アウトプットが出せないような生産性が低いと思われた人は大抵契約を切られていました。
その反面で、会社に対する愛着は持てませんでした。「自分も役に立てなくなったらクビになるんだろうな」というのが明らかだったので、どこか会社に対してドライにならざるを得ない心境が常にありました。
そのおかげでスキルアップに対するモチベーションが保たれていたので良かったと言えば良かったのですが、少し複雑な心境ではありました。
退職、そして次
さて、そんな色々とあったオーストラリアのローカルな IT コンサルティング会社での仕事ですが、始まりがあれば終わりもあるということで、今年で退職する決断に至ったわけです。
リモートワークで比較的自由に働けて、休みは多くないが拘束時間は長くはない、自分が携わって成功したプロジェクトもあって、付き合いの長いクライアントもいる。一般的に、広義でいうところの「良い職場」ではありました。
ただ、入社した当初に自分が感じていたような、毎日が新鮮で、学びがある、挑戦的な環境というのはいつの間にかなくなっていたようにも思います。そのような中で、あえてオーストラリアという異国で働く動機は薄くなっていったようにも思えます。
広義でいう「良い職場」ではあったと思うので、辞めたくなったというのは少し不思議ではあるのですが、もし今から自分がまた同じ職場で働いたとしても辞めたくなるんだろうなとは思います。
いつも思うことですが、人生は有限でいつまで健康でいられるか分からないので、やりたいことはやれるうちにやっておいた方が良いと思います。20代の最後に始めた冒険も終わるころには30代でした。最近、30代になり、自分の人生のフェーズが変わりつつあるのを少し感じています。そういう中で、いつかやってみたかった日本とは無縁の海外の職場で働くことができたのは貴重な経験だったなと思います。